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ローラーブレードではチームの記録として
「今まで何をしてきたか?」に思いを馳せるページをオープンしました。
ライダーの過去の実績や経験をプロダクトの創造力につなげてきたことを踏まえ
ライダーの過去、現在、未来をフラッシュバックインタビューとして語っていきます。
今回は日本の神戸出身、安床栄人さんです。
Q、若いころからスケートをしてきた実績を持ち、両親もあなたと同じようにプロのスケーターということですが、記憶にある最初のスケート体験はいつのことですか?
A、私は大阪のスケートリンクでスケートを始めました。
両親はプロのディスコスケーターで
『チームグッドスケート』というチームで
仲間たちとローラーディスコショーをしていました。
2歳の時、いつもチームの仲間たちと滑ったのを覚えています。
両親も含めて人はみなスケートができるものだと思っていました。
周囲の仲間がそうだったからです。
そんなわけはないんですけどね(笑)
1990年にローラーブレードが日本でインラインスケートを販売し始めたとき私は7歳だったのですが、すぐに欲しいと思いましたね。
Q、1998年、15歳の時、あなたはヴァートランプで既にハイレベルなスケーティングを披露していました。
どのようにしてヴァートランプ(トリックなどを行う構造物があるスケート場)でスケートをするようになったのでしょうか?
A、80年代に父がローラーディスコを教えるためにアメリカに行っていました。そこで父はハーフパイプを見て、帰国後自分でスケート場にハーフパイプを造りました。
つまり私が生まれたときにはハーフパイプが我が家にある状況だったのです。
10歳の時にはヴァートスケートをし始めていて、両親はそこにローラーディスコショーを加えていきました。チームグッドスケートは1992年にヴァートランプでパフォーマンスを始めました。
1995年、12歳の時に出場した”NISS”が私にとっての最初の国際大会でした。
そのロサンジェルスで世界クラスの最高のスケーターたちに出会えたことは一生忘れられない思い出です。そのレベルの高さにショックだったのと、ランプでの大きな可能性を感じた大会でした。帰国後すぐに次の大会に向けてトレーニングを開始しました。
Q、10年以上も世界大会で活躍し続けている安床さんですが、現在でも今まで誰もやったことのないトリックを編み出しています。どのようにスキルを磨いてきたのでしょうか?大きな怪我などされたことはないのですか?
A、神戸のGスケートパークというところでいつもは練習しています。
私が主に目指しているところは勝つことでは決してありません。世界的に最高のスケーターたちと一緒に過ごす時間が長く、スケートセッションを彼らと楽しんでいます。私たちはいつも観客の皆さんに素晴らしいショーを披露しようと努力しています。弟の武士とトレーニングして大会ではともに戦ったりしています。これが良いショーを作り出しているとことにつながっていると思います。
私自身競い合うことを好むタイプの人間ではなく、インラインスケートに関する様々なことを知ったりできるようになりたいだけ、
ランプの中で新たなトリックや動きを目指して取り組んできただけなのです。
22歳の時、脊椎を損傷して脚の感覚がしばらくの間ない症状に苦しめられました。
幸いなことになんとか治療してもらえるお医者さんに巡り合うことができましたが、1年もの間スケートができない期間がありました。その期間を経て、仲間たちに「ただいま」ということができるようになりました。その怪我からの復帰後、『ツイスター』というオリジナルトリックを創り出したのです。
Q、ヴァートスケートにおけるあなたが残した足跡は非常に大きなものです。現在のスケートシーンについてどのように考えているでしょうか?残念ながら一昔前のように大きな大会はなくなってしまっていますが、なぜだと思いますか?
A、ヴァートスケートはとてもシンプルでわかりやすいと思います。アメリカではたくさんの素晴らしいイベントがなくなってしまい、それによって多くのヴァートスケートの才能あふれるヒーローたちが失望してしまっています。その可能性は今なお大いにあるのです。BMXのビッグトリックやスケートボードのトリッキーなリップトリックのように観客的な視点では最高のショー要素を持っているのです。
Q、ランプでのスケーティングをインスタグラムなどで見ることができますが、アイススケートも最近はされているようですね。どういう経緯なのでしょうか?
A、弟の武士と私は18/19シーズンレッドブルクラッシュドアイスというイベントに出るためにアイススケートを始めました。そのイベントのトレーニングを見たときにアイススケーターがオフシーズンのトレーニングとしてインラインスケートをしているということを知りました。そこにインラインスケーターとしてのもう一つの可能性を見出したのです。自分のスキル、そして私が主催するスクール(ASCスクール)の生徒たちのスキルの多様性を示す素晴らしい方法なのです。
Q、カナダエドモントンでのレッドブルクラッシュドアイスに出場されましたがどのように感じましたか?プロインラインスケーターであることのアドバンテージはあったのでしょうか?
A、私達兄弟は氷の上ではビギナーですが、とても楽しい経験ができました。スタントスケーター(ローラーフリースタイルスケーター)そのイベントにおいて大いなる可能性を秘めていると確信しています。
氷の上での時間を増やしてアイススケートのスキルアップをしなくてはなりませんが、氷上と陸上の切り替えをどのようにすればよいかを知ることができたのでそれはとてもよかったです。
プロインラインスケーターはみんなレッドブルクラッシュドアイスにチャレンジしてみるとよいのに、というのが私の意見ですね。
Q、Gスケートパークで子供たちにスケートを教えていますが、次の世代にスケート技術を伝えることについてどのように思われますか?
A、昨年からヴァートの大会に出場するのをやめました。今最もフォーカスを当てている私の仕事がスケートスクールなのです。主催するASCスクールでインラインスケートを教えているのですがそのレッスン内容はスケートスキルだけではありません。多くの子供たちはほかのメインのスポーツをやっています。サッカーやテニス、水泳やスキーなど様々です。すべてのスポーツに必要とされる持久力やバランス能力、体幹の強さをインラインスケートを通じて強化していってほしいと考えています。また集中力やセルフコントロールといって部分を改善することにも注目しています。何度かスケートレッスンをしたのち、子供たちは自信をつけて自身のモチベーションをアップさせポジティブシンキングにつなげられている様子が見られます。これらはもっと楽しく素晴らしい人生につながると思うのです。
ランプでのスケートが自分自身のモチベーションアップにつながるということが
子供たちのレッスンをより良いものにしていくことにシフトしているのです。
まさに同じモチベーションなのです。この仕事に従事することはとても幸せですし、インラインスケートがみんなの人生をハッピーにできると感じています。すごいスポーツですよね!
Q、若いスケーターやあなたの息子さんに向けて今後どのようなプランを考えているのでしょうか?
A、広島で開催されたFISEのローラーフリースタイルジュニア大会に
何人かの私の教え子たちが参加しました。
多くの子供たちがその大会に挑むことにとても興味を持っている様子がうかがえました。
彼らはレッドブルクラッシュドアイスにも興味があるようです。
インラインスケートには未来をよりよく変える力があると私は確信しています。スキーやアイススケートのトレーニングとしてはもちろんのこと、世界的に有名なシルクドソレイユのショーを制作するカメラマンにとっても
そこにつながるスポーツなのです。
そしてオリンピック種目にもなるかもしれない現状を考えると
インラインスケートの未来はとてもエキサイティングで
巨大なビッグウェーブがきっと来ると思いますよ。